そこから何を学ぶのか。
何を超えるのか。
未だ“お金”の問題に揺らいでしまう意識の弱い器であるということ。
社会(人間関係)における自分達の価値を未だ“お金”中心に置いているということ。
そなたらが築いてきたものは、まだその程度であるということを学びなさい。
あらゆる“お金”にまつわる不安とともに
“お金”中心に築かれた社会の価値判断を選択してきた人々よ。
その揺らぐ心の不安定さゆえに右往左往してきた人々よ。
静かに聖なる真実を取り戻す時がきた。
いっそのこと、天災でも起きて、すべてを精算してもらえれば清々するのに、
などとその責を逃れるでない。
もうその繰り返しは許されぬのじゃ。
そこにいながらそなたがそれを超えて行かねばならぬ。
金・・金・・・金・・・・
様々な場面で金により植えつけられてきた恐怖心、虚栄心、慢心・・・
真実を見るそなたらの目は長く目隠しされたままであったな・・・
しかし、そなたらはそれをいよいよ外すお役目、時がきた。
金さえあれば、というのは己への偽りである。
金が姿を変え、そなたらの魂をむさぼってきたのは確かな事実。
その虚構に注目すべきである。
金にまつわる威力、魔力を見せつけられ魅せられてきた多くの者たちよ。
買わなければ(売れなければ)ゴミと化す宝の山・・・
そなたらは何を守ろうとし、何を失ってきたのだ?
何を得ようと、何を創り、何を葬ってきたのだ?
☆ ☆ ☆
このメッセージはアップしようかどうか、とても迷いました。
お金はまだ私たちの生活そのものです・・・
しかし意識して見えてくるものがあるなら、そこから目をそらしてはいけないんだと思いました。
地球村の高木善之さんのブログにもありましたが、
自分の冷蔵庫の中なら、賞味期限がきれる前に食べようと、古いものから順に使い切る(食べる)努力をするのに、スーパーで物を買う時は新しいものを奥から選んで買ってしまう。
当然、売り場に残った賞味期限切れのものは大量に処分されてしまう。。。。。
物を買うという行為。
自分の物にするという行為。
自分の物とそれ以外・・・
かつての魚座時代は“自分”というものを大切にし認め、“個人的なもの”、“個人のエネルギー”
個人意識を獲得して行った時代であった、と何かの本で読み、納得しました。
そしてこれからの21世紀は水がめ座の時代。
共存共栄の道、個人意識を超え、共に栄えていく時代に入ったそうです。
ひとりひとりの小さな意識が変われば、その行動が変わり、出会いが変わり、
やがて大きく世界を変えていく、というのが聖なる扉のコンセプトですが、
個人的な意識を超え、右往左往しない自分をしっかり習慣つけていきたいものです。
そしてお金や物の力ではなく、愛情に満ちた信頼できる人間関係を身近なところから
しっかり築いてゆきたいものですね。(*^^*)
ありがとうございました。(FK)